シナリオ・小説の書き方 初心者がやってしまう間違い

シナリオライター編
最近は小説投稿サイトが人気が出て、そこから多くの人が書籍化しています。 それを見て、小説を書き始めた方も多いです。 あなたもそうなのではないでしょうか。 そうして書き始めても、なかなか書き終えれない、サイトで誰にも読んで貰えない、コメントを貰えない、などなど、すぐに壁にぶつかってしまい、やがて書くことを止めてしまいます。 これは初心者によくありがちな間違いをおかしてしまっているからです。 今回はそんな、初心者がやってしまう間違いについて解説していきます。 結論を最初に書くと、以下の2点があげられます。 ・勉強をしない ・勉強をし過ぎる では、詳細の解説をしていきましょう。

勉強をしない

小説の良いところは、「誰でもすぐに書ける」ことです。 今では小学生くらいの年でも小説を書く時代です。 ですが、この「誰でもすぐに書ける」というのはデメリットでもあります。 なぜなら、「教わらないでも書けてしまう」からです。 独学で書けてしまうので、誰にも教わらずに書いてしまいます。 するとどうなるでしょうか。 基礎が全くできていない状態で進むことになります。 考えて見てください。 例えば何かスポーツを始める際、独学でやるでしょうか? ほとんどの人は最初に、経験者に「教えてもらう」はずです。 経験者の人に「基礎」から教えてもらい、「練習」し、そして「試合」に出られるようになります。 ですが、小説の場合、いきなり試合に出ることができてしまうということです。 これは基礎も練習もしないで、試合に出るようなものです。 どうなるかは想像に難くないでしょう。 ただ、小説の更なる厄介な部分は、「視覚的な結果が分かりづらい」というのものがあります。 スポーツであれば、試合でボロ負けすれば、「自分のレベル」というものが嫌でも思い知らされます。 イラストなんかでも、同じで、一目で「上手いか下手か」というのが「視覚的」にわかります。 つまり「視覚的に自分で結果を受け止められる」ということです。 ですが、小説は文章です。 確かに文章自体の上手い、下手というのはあります。 パッと読めばわかる範疇です。 ですが、小説の核となる部分は、そこではありません。 描かれている「ストーリー」です。 そして、ストーリーの「面白い」「面白くない」というのは「好み」によって大きく左右されます。 なので、例え、新人賞で1次落ちだった場合でも、「下読みの見る目がなかった」と言って「逃げる」ことができるのです。 周りが忠告したとしても、その「忠告した人の見る目がない」と聞く耳を持たない人がいます。 こうなるとどうなるでしょうか。 いつまでたっても成長せず、誰にも読んで貰えず、やがて書くことを止めてしまうでしょう。 では、どうすればいいのか。 答えは簡単です。 「勉強」すればいいのです。 スクールに通うでもいいですし、解説本を読むのでもよいですし、今の時代、ネットには様々な情報が溢れています。 勉強しようと思えば、いくらでもできてしまいます。 ただし、ネットでの情報は「間違い」であることもありますので、そのあたりは自分で判断する必要があります。 確実に正しい情報を得たいのであれば、スクールか、書籍の方がよいでしょう。 ただ、中にはこういう人もいます。 「小説というのは感性で書く芸術品だから、勉強なんて必要ない。勉強すると返って、自分の感性が影響を受けてしまい、オリジナリティがなくなってしまう。だから、あえて勉強をしない」 はい。確かに小説は「感性」で書く部分があります。 ですが、もう少し深く考えて見てください。 イラストも同じく「感性」が必要な芸術品です。 ですが、イラストでも「基礎的な技術」というのは必要です。 模写をしたり、クロッキーをしたり、構図の効果についての勉強や、色の勉強などなど、「勉強する」箇所は多いです。 そして、その技術の上に「感性」がのり、誰しもが感動する芸術品になるわけです。 これは小説にも言えます。 基礎的な技術というものが存在します。 例えば、起承転結、大どんでん返し、伏線の貼り方やキャラクターや世界観の作り方、などなど、挙げ出したらキリがないくらい多くの技術が存在します。 その技術を習得しているのとしていないのとでは、作品のクォリティに大きな差が出るのは当然でしょう。 また、技術を学ぶということは、タブーも知ることができるという点も大きいでしょう。 例えばですが、「夢オチ」というのはやってはいけない代表例みたいなものです。 ですので、ほとんどの人は夢オチを「使いません」。 ですが、「夢オチはタブー」と知らない人がいたとします。 何か、読者を驚かせてやろうと考えます。 そして、「夢オチ」を思いつきます。 周りでは「誰も使っていない」ので、自分が生み出した「新しい技術」だと思い込みます。 意気揚々と「夢オチ」で物語を書いて、他の人に読んで貰います。 自分の中では「すごい! 斬新なラストだね!」と言って貰えるはずが、「ああー。やっちゃった……」と渋い顔をされるわけです。 あくまで極端な例を出しましたが、十分あり得ます。 何しろ、私も初心者のときにやっていました。 技術というのは先人たちが長い時間をかけて「こうやった方が効果的」「これはやらない方が良い」というものです。 せっかく、ある技術に手を伸ばさず、我流で進めば遠回りすることはもちろん、進める距離もわずかとなってしまうでしょう。 そして、もう一点、「自分の感性に影響を受けてしまう」という心配についても解説しておきます。 結論を言うと「心配ありません」。 技術というのは「型」と考えてみるといいでしょう。 例え、「同じ型」でも、「使う人」が違えば、違うものになります。 漫画で例をあげてみましょう。 未だに人気絶頂である「鬼滅の刃」で考えてみます。
この「型」という部分は「呼吸」と置き換えて考えてみてください。 主人公の炭治郎は、まず「水の呼吸」を習得しました。 つまり、「水の呼吸の使い手」です。 ですが、同じ水の呼吸の炭治郎と鱗滝や冨岡の強さは同じでしょうか? 違いますよね? 同じ水の呼吸の使い手ですが、強さは「全く違い」ます。 そして、炭治郎は作中にこんなことを言います。 「今までの呼吸の使い手は、『自分に合った呼吸に変化させてきた』から、今では様々な呼吸が存在してるんだ」と。 これは小説の技術にも言えることです。 仮に「技術を学ぶことで、感性に影響を受けた」としても、「自分にあった形で昇華」してしまえばいいのです。 すなわちそれが、あなただけの「呼吸」になるわけです。 それは立派な「オリジナリティ」です。 なので、技術を勉強することは、決して恐れることではありません。 小説を書くための有効な型として、使いこなすくらいの考えでいいのです。

勉強し過ぎる

次に勉強し過ぎるという点です。 これは先ほどと真逆のことです。 何も知らない状態から小説を書こうと思い、やってみようとしたけれど、全く書けない。 そこで、解説、指南書を読みます。 ここまでは問題ないです。というより、正しい手順です。 ですが、そこで、「勉強ばかりしてしまう」という落とし穴にハマることがあります。 これは「勉強することが悪い」わけではなく、「勉強しかしない」のがダメです。 これをスポーツで例えると、技術の本ばかり読んで、「実際に体を動かしての練習をしない」のと同じです。 これで上手くなれるかというと、なれないというのはわかると思います。 「実際に体を動かしてこそ」初めて技術が向上するのです。 さらに、「勉強ばかりする」のがいけないのは、「知識だけが積み重なっていく」ことです。 「なんだよ、いいことじゃないか」と思ったでしょうか? ですが、これは正直、怖いことです。 例を出して考えて見ましょう。 野球で「イチロー」選手みたいになりたいと考え、数年間、ずっとイチロー選手の試合のビデオを研究したとします。 頭の中では完璧にイチロー選手の動きを再現できるほどまでになっています。 さて、いざ、実際にバットを振ってみたらどうでしょうか? 頭の中のイメージと、実際に自分の身体を動かしたときとでは、全然イメージが違ってきます。 このイメージと自分の体の動きを一致させていくのが、実際の練習になるわけですね。 これを小説に戻して考えてみましょう。 頭の中には完璧な理論や技術が入っています。 いざ、それを小説に落とし込めるかというと無理です。 理論や技術を、自分の小説に落とし込むためには、やはり実際に書いて、「四苦八苦」しなくては使いこなせるようにはなりません。 もちろん、実際に自分で書いた小説を見直してみると、全然、理論や技術が落とし込めていないものになっています。 これを見た時に、「心が折れる」方も実際多いです。 頭の中の理論や技術のレベルが高くて、それを自分の小説に落とし込めないことに「苛立ち」や「恐怖」を覚えてしまうのです。 そうなると、書くのを戸惑ってしまうようになり、いつしか書くことを止めてしまいます。 そして、その人がどうなっていくのかというと「評論家」になっていきます。 もちろん、評論家が悪いというわけではありません。 立派な職業です。 ですが、最初から「評論家」になろうと思って、技術を習得するのはいいのですが、「作家崩れ」で意図ぜず「評論家のような感じになってしまう」のは危険です。 なぜなら「嫉妬」が入ってしまうのと、「自分の中の理論が正しい」と思ってしまうからです。 これはなぜダメかは一目瞭然ですね。 客観性がないからです。 偏った評論を言ってしまう可能性が非常に高いです。 さらに、「作家として書いていた」という自信があるため、相手に求めるものも非常に「高く」なってしまいます。 これでは、評論する相手の作家にとって、良いことではなく、逆にマイナスになってしまうでしょう。 いかがだったでしょうか。 勉強はバランスよくやっていくことが良いです。 基礎的なことを勉強した後は、実際に書いてみて、行き詰ったらまた勉強するというサイクルでやっていくといいでしょう。 それで今回はこの辺で終わります。 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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